今の私のレンズを探るために、過去の苦い経験を振り返ります。
はじめに
最近、1on1で過去の抑圧が今にどう影響しているかという話をする機会があり、私にもこんな過去があったなと思い出すきっかけがありました。
また、以前安斎勇樹さんのVoicyで聞いた考え方で
過去に自分がうまく世界に適応できなかった、あるいは拒絶された「抑圧」の体験を、半分かけ合わせながらレンズを探る方法。 言い換えれば【自分は過去のどんな抑圧を、どんな関心・好奇心によって癒そうとしているのか?】という構文で、自己ケアのストーリーとして探究テーマをとらえてみること。
#54 過去の抑圧を、好奇心で癒す。探究とは自己ケアのストーリーでもある | 安斎 勇樹「安斎勇樹の冒険のヒント」/ Voicy - 音声プラットフォーム
voicy.jp
という考え方が印象に残っていたので、今回は私の過去の苦い経験を振り返りながらそれを今どう捉えているのかを考えてみます。
「頼られる」ことへのパラドキシカルな感情
私は中学生の時に生徒会長をしていました。「生徒会長なんだから、これもやってくれるよね?」 そんな空気感で、先生たちから次々と仕事を押し付けられていました。「役に立ちたい」と思う一方で、勝手に役割を押し付けられることへの猛烈な反発心がありました。
ある日、私は限界を迎えてブチギレてしまい、任せられた仕事を「他の人に頼んでくれ」と断ってしまいました。今思えば、単なる「わがまま」だったとは思います。(あの時代わりにやってくれた畠山くんありがとう)
この経験を振り返ると、私の中には「誰かの役に立ちたい」 けれど 「勝手に押し付けられるのは嫌だ」という、パラドキシカル(逆説的)な感情があることに気づきました。
これが今の私の「納得感」というものを大事にしているレンズに繋がっているんだと思います。
対話の不足による板挟み
高校ではサッカー部の部長になりましたが、そこでもまた別の葛藤がありました。部員と顧問との板挟みになり、どちらにもいい顔をして嘘をついてしまうことがありました。能動的に解決するのではなく、調和のために受動的にやり過ごすことを選んでしまったのです。
今思うとあれは「対話」が足りていなかったことによる影響だったんだなと思います。
当時の私は、顧問の先生が言うことを、その「意図」や「目指したい方向性」まで深く聞くことなく、ただ言葉通りに部員へ流してしまっていました。当然、部員からは「なんで?」と反発が起きますが、 結果として、その場を収めるために部員に「いい顔」をして嘘をつくしかなかったのです。
この失敗は、今の私が「対話」や「前提の理解」を大事にする理由になっています。 誰かの役に立つためには、ただ言われたことをやるのではなく、「なぜそれをするのか?」という前提を、対話を通じて深く理解するプロセスが不可欠だと、あの時の痛みが教えてくれています。
「修論の地獄」が教えてくれた、探究の楽しさ
もう一つ、私の人生で忘れられない苦い経験があります。それは大学院の修士論文です。
修士論文の執筆が思うように進まず、提出の数週間前、私は泣きながら家族や友人に相談していました。 「実験がコロナでうまくできなかった」 それは確かに事実でしたが、半分は言い訳で、ただ自分が動けなかっただけだということも分かっていました。ただどうしていいか分からず、研究にうまく意義を見出すことができず、辛かったです。
それでも「やるだけやってみよう」と決意して、なんとか書き上げました。出来栄えは良いものとはいえませんが、不思議な形で今の私に残っています。
ただ、「情報を集める」「テーマをもとに未知な問いについて考える」という行為が、今では私の好奇心を育ててくれる営みに変わっているのです。 「もう二度と修論なんて書きたくない」と思う一方で、「今の自分ならもっとうまくやれる。リベンジしてあの時の気持ちを精算したい」という思いもどこかにあります。
あの時の「できなかった」というコンプレックスが、今の私の「探究することへの意欲」というレンズを作り出しているのかもしれません。
過去を「意味づけ」して、自分をケアする
中学・高校での人間関係の葛藤、そして大学院での研究の挫折。 当時はただただ苦しかったですが、これらを意味づけするとすると
- 押し付けられた経験があったからこそ、納得感を持って動くことの大切さを理解できる
- 対話不足で板挟みになった経験があるからこそ、「対話」と「前提」を丁寧に扱うことができる
- 研究で挫折した経験があるからこそ、純粋な「探究」の楽しさを噛み締められる
過去の事実は変えられませんが、それを今の自分を映す「レンズ」としてリフレーミング(意味づけ)することプロセスそのものが、私にとっての自己ケアなのだと思います。